赤色リップ

ルージュの伝言はきっと赤色。

ごきげんよう

この歳になって、日本語はなんてステキな言葉なんだろう、と思う。

語彙力がないわたし。

というよりは、中高生の10代の頃のほうが沢山の言葉を知っていたような気がする。

単語?語彙?それは専門用語だったりするけれども、なんかこう言葉の引き出しが今よりも沢山あった。

 

中学生の頃は英語が好きだった。

あ、いや、もちろん日本語も好きだったけど、魅力をそこまで感じていなかったのかもしれない。

高校英語には苦労した。そこからだんだんと苦手になっていったともいえる。

 

大学で社会福祉を専攻していて、色々な専門用語は外国語だったり…。

必死になって覚える努力をしても、時が過ぎればすっかり忘れてしまって今じゃちんぷんかん。

だめだこりゃ~;と思いながら、今に至る。

若者の言葉は次々に生まれ、簡略化され、それはそれで訳が分からないという、、なんとも中途半端な年齢だなぁ、と、我ながら思うんです。

 

ネットの世界には幅広い年齢層の方がいるけれど、日常の中にそんなに若い人と接する機会なんてそうそうない。

周りを見渡すと高齢者ばっかりの地方民なのだよ。ワタクシハ。

 

閑話休題

やっぱり日本語は美しいと思うのです。

英語はニュアンスではなんとなく伝わるけれど、どうも核心が掴めない。

それってどういう意味なのかな。。曖昧すぎて理解に苦しむ。

そこかしこに溢れ、聞きなれた言葉(英単語)だからこそ、自分の中でなあなあになってしまっていたりしませんか。

 

なぜここまで日本語が美しいと思うようになったのには、ちゃんときっかけがあって

それは朝ドラ「花子とアン」の、”ごきげんよう”という言葉。

お嬢様や貴族の間で使われていた言葉(?)なのに

お年を召された方の中に、それを使っている人もいることを知ったのも

今となっては大きな衝撃だったかもしれない。

 

”ごきげんいかがあそばせ?”

そうしっかり言わなくとも、「いかがお過ごしでしょうか?」くらいのことは手紙の中でのご挨拶として使っている自分がいたことにも気づいた。

・・あれ?

その血は脈々と流れて、今現在を生きるわたしの中にもあるじゃないか。

その事実に驚いたわたしは「日本語」に魅了されてゆくのです。

 

柔らかで、しなやかで、それでいて凛としている。

わびさびといった切なさも

色彩の豊かさも

ちょっとした季節の移ろいも

微妙に違うニュアンスを、的確に言い表せる言葉がある。

 

そして

擬音語、擬声語も豊富にあることは、文句なしに愉しい!

そう思いませんか。

 

だから、わたしはできるだけかみ砕いて、手っ取り早い和製英語じゃなく日本語で文章を綴りたいのです。

できれば大和言葉を・・!と思うのですがまだまだこれからお勉強です。

 

話し言葉はなかなか変えられないから

(というのは、その土地につよく根付いている方言も大切にしたいという気持ちがあるからで)

せめて書く時くらいは、わたしなりの表現の仕方を見つけたいな、と。

それには英語を使いこなせるよりも日本語を学ぶことが重要だと思うのです。

 

もちろん、外国語への憧れはあります。だって、だってなんだかカッコイイんだもの。

けれど、それよりもきちんとした母国語を話せる日本人で在りたい。

 

真似ぶ→学ぶ

とりあえず誰かの真似をしてみよう。

「習うより慣れよ」