赤色リップ

ルージュの伝言はきっと赤色。

タイトル

ブログだろうが何だろうが、「タイトル」というものはその内容(文章とかね)に命名することだと思っている。

 

息を吹き込んで、名前を付ける。生かす。

 

惹かれるタイトルを付けられるような人になりたい。

例えそれが意味不明でも。

 

去年購入した本なんて、まさにそういうもので(まだ読んでない…)ちょっと紹介すると

●空が分裂するー最果タヒ

●私を知らないでー白河三兎

●少女不十分ー西尾維新

っていう、こういうなんだか不思議なものに心を奪われてしまう。

著者の名前も、ステキ。しびれる。

 

なんていう言葉たちなんだろう。クラクラと目眩がしそう。。

 

本屋さんに行くとつい、背表紙だけをずーっと目で追って、それだけで満足したりうっとりと幸福感でいっぱいになる。

気づけば1時間とか眺めてる。時間を忘れるくらい集中してる。

 

大学の時、生協の書籍コーナーで突っ立っていたら

後輩くんに「先輩いつまでいるんですか?」と言われたくらいだ。

 

あの頃は沢山本を読んだけど(読書家の人に比べれば断然少ない)、今は体力・精神力が持たずに読めてない。

ほんとうは貪るように読書がしたい。

 

ただ、一冊の本を一気に読んでしまうと、その後に支障がくるのでコマ切れに読むしかないのだよ。。哀しいかな。。

それがよく”感受性が強い”って言われる所以なのだろうか?わたしにはわからないけれど。

 

とか言いながら、ずーっとノンフィクションが好きでそういう類の本ばっかり読んでて

小説をちゃんと読み始めたのは高校生からっていう変な人。

 

それ以前に読んだ中で一番鮮明に覚えているのは(内容は忘れた)

「緑の森の神話」ー折原みと さんの、本。

なんかあの、”エピローグ”とかいう言葉が新鮮でキラキラしてて本当に神秘的な感覚に陥ったことだけが残ってる。

 

漫画とか一切興味ない子どもだったから。

もうそこから、わたしの使命みたいなものは感じていたのかもしれないと、今だからこそ思う。

物心ついた頃から?記憶にある本は障害とかを乗り越えて生きている人の本ばっかりで。TVでもやってたけど「中学生日記」もシリーズで読んだし、虐待について書かれた「”It”と呼ばれた子」も読んだ。

そんなんばっかり好き好んで読んでた子どもだったんだよなぁ。

 

高校から小説読んだりもしたけど、大学の時はまた精神疾患の小説とか結構リアルに描かれてる作品とか、最後の方は対談集だったりエッセイを読んでいた。

 

やっぱり、現実問題を直視していたかったんだと思う。

 

だからわたしは、物語は書けないんだなぁと、ね。

そして、そういう「人」と接していたいんだ、と。

 

ー事実は小説よりも奇なりー